美容コラム

何歳になっても「きれいでいたい」と思うこと

「何歳になってもきれいでいたい」と思うことを、
私はとても素敵なことだと思っています。

それは、誰かと比べるためでも、 若さにしがみつくためでもなく、
自分自身を大切に思っている証だと思うからです。

そしてそれは、 女性であることへの関心を、 ちゃんと手放さずにいるということでもあります。


年齢を重ねると、人はどうしても変わっていきます。
体も、環境も、考え方も。

でも私は、年齢を重ねるほどに、 その人の生き方や姿勢が、
静かに外側へにじみ出てくると感じています。

そのひとつが、「言葉遣い」だと思っています。

場にもよりますが、若い人が 「デカ」「キモ」「ヤバ」といった言葉を使っていても、
それはその年代の空気として、特に違和感はありません。

でも、もし私自身が日常的にそうした言葉を使っていたら、
きっと「雑」「乱暴」「余裕がない」 そんな印象を与えてしまうだろうな、と思うのです。


立ち居振る舞いも、同じだと思っています。

私は、できるだけ音を立てないように意識しています。
ドアを閉めるとき、 テーブルにカップを置くとき。

それだけで、不思議と動きが丁寧に見える。
そして、人から何かを受け取るとき、 こちらから差し出すときは、
必ず両手を使うようにしています。

人から渡された本を両手で丁寧に品よく受け取っている場面。穏やかに微笑み、上品な佇まいの女性のイラスト。

ほんの些細なことですが、 そうした積み重ねが、
その人の「雰囲気」や「品」に つながっていくのだと思っています。

「若さ=美しさ」に違和感を持つようになった話

以前の私は、 どこかで「若さ=美しさ」だと思っていました。
でも、ふと、 それはとても苦しい価値観だな、と感じたのです。

世の中のすべてのものは移り変わります。
同じ状態にとどまり続けるものは、何ひとつありません。
いわゆる「無常」というものです。

それなのに、「若さ」だけを美しさの基準にしてしまうと、
失われていくものばかりに目が向いてしまう。

それは、本当の美しさではないのではないか。 そう思うようになりました。

外見がどれほど整っていても、 言葉や動作が乱暴で、
人への気遣いが感じられない人を、 私は「美しい」とは感じません。
それは、一瞬の輝きにすぎない。 長く続く美しさではないと思うのです。

変化してきた自分を、否定しなくなった

年齢を重ねる中で、 似合わなくなったものも増えました。
でも今は、 「変わった自分」を 否定することは、ほとんどありません。

それよりも、 今の自分に合うものを、 静かに選び直している。
そんな感覚に近いです。

それは、手抜きではありません。 諦めでもありません。
「今の自分をちゃんと見て、選択している」 という、
ひとつの価値観なのだと思っています。


今の自分に合う「きれい」を選ぶということ

若い頃と同じようにしなくてもいい。 無理に背伸びをしなくてもいい。

今の自分が、 心地よく、自然でいられること。
その中にある「きれい」を 大切にしたいと思うようになりました。

それは、 流行を追いかけることでも、
誰かにどう見られるかを 気にしすぎることでもなく、

自分の内側と、 ちゃんと足並みをそろえること。
そうすることで、
不思議と立ち居振る舞いも、言葉も、 穏やかになっていく気がします。

品格は、日常の積み重ね

窓際に立ち、外を眺める女性の後ろ姿。穏やかに微笑んでいる横顔。

品格というと、 特別な知識や、高価なものを 思い浮かべがちですが、 私はそうは思いません。

音を立てないこと。
言葉を選ぶこと。
自分を雑に扱わないこと。

そうした、誰にも気づかれないような 日常の積み重ねが、
その人の「雰囲気」になり、
やがて「きれいさ」や「品」に なっていくのだと思います。

何歳になっても、 自分を大切にする感覚を 失わずにいたい。
私は、そんなふうに 「きれいでいたい」と 思い続けていたいのです。

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